朝の風景第五章   今の自分にできること
 二〇一六年四月十五日、その日の朝はとてもいい天気だった。私は学校へ着くと、大急ぎで職員室から玄関までの手すりに吊り下がっているソーラーライトを回収し、校庭の隅の日当たりの良い場所に並べた。それから昇降口の前に丸椅子を置き、その上にCDラジカセをのせ、『春の風』の合唱をかけた。
「ルルルルールルー ルルルルールルー ルルルールールルールー 春の風は 駆けてゆくよ ルルルールールルールルー……」
さわやかな一日が始まるはずだった。
 しばらくして数人の児童が、息を切らして私に駆け寄ってきた。そして荒々しい息遣いのまま、何かを訴え始めた。
「せ、先生、熊本のお友達に、希望のともし火のライト、送ってあげてください。く、熊本が大変なんです。」
前の晩のニュースを知らなかった私は、びっくりしつつも心を落ち着かせ、
「わかったよ。必ず送るから、心配しなくても大丈夫だよ。」
と応じ、引き続きあいさつを続けた。後から来た児童が口々に熊本と大分で大きな地震があったことを話してくれた。
 被害の甚大さを知ったのは、職員室に戻った直後、給湯室に集まる先生方の心配そうな会話を耳にした時だ。
 私はその会話には加わらず、音声パソコンのキーボードをたたき、被害状況を調べた。そして、希望のともし火のライトを、被害の最も大きかった益城町の五つの小学校に向けて、その日のうちに発送した。そうすることこそ、今、向かい合っている児童に対する私の果たすべき責務だと直感していた。

   お誕生日おめでとう!
 私が中央小学校にきた年、月に一回「お誕生日給食」という行事が行われていた。 その日は、その月生まれの児童と先生がランチルームに給食を運び、校長先生と会食した。そしてお昼の放送で、集会放送委員の児童が、オーケストラ演奏のハッピーバースデーの録音をバックに、その月生まれの児童と先生の氏名を紹介した。
 小さな学校ならではの家庭的な企画だったが、ランチルームに向かう児童が給食を落としてしまったり、お誕生月の先生がランチルームと自分の教室を慌ただしく行き来しなければならなかったり、異年齢の児童がお互いにコミュニケーションが取れず、孤立した状態で食事をする姿が目立ったりと、さまざまな問題点もあり、私の赴任した年度いっぱいで終わってしまった。私は、企画の終了はやむを得ないと思いつつ、児童たちが学年を超えてお互いの誕生日を祝い合えたら素敵だろうな、とも感じていた。
 二〇一六年四月、私は集会放送委員会の担当になると同時に、お昼の放送での、その月生まれの児童と先生の紹介を、毎月初めの水曜日に引き続き行うことにした。
 六月に入り、三年生の音楽の授業でソプラノリコーダーの練習が始まった時、四年生の音楽の授業でハッピーバースデーをリコーダーで吹くことを思い出した。
 そこで私は、六月生まれの児童と先生が紹介される日の朝、CDプレイヤーでハッピーバースデーの伴奏をエンドレスに流し、リコーダーを吹いて児童を出迎えた。
 四小節の前奏に続けて八小節のメロディーを二度繰り返すと曲が終わった。しばらくの空白があって、また前奏が始まる。私は空白の時間に短いスピーチをすることにした。
「今日はお昼の放送で、6月生まれのお友だちと先生を紹介してもらいます。みなさんの周りに6月生まれのお友だちや先生がいたら是非、みなさんから〈おめでとう〉って声をかけてみてください。今日も仲良く元気に充実した学校生活を送っていきましょう。」
 その日から、私がハッピーバースデーをリコーダーで吹いて児童を迎える様子が、毎月初めの水曜日のW朝の風景”となった。
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